SEOを無視するメリットもある。

とあるブログで3千記事ほど書いた経験からそう思う。確かにSEOを意識してタイトルから<h1><h2>のキーワードになる事柄を考えてやることはプロの仕事だろう。良い記事を書いても見られなければ意味がないのだから、Google検索の上位になるにはユーザーの検索するキーワードを狙って書くのは当たり前のことだ。

だけど、このブログではあえてそのようなことはしない事にした。実験的な試みでもあるが、そのようなことをしなくても「自然となるようになる」というのが持論である。

自然となるようになれば良い

投げやりなことではなくて、自分の趣向や試みなどをやるこのブログではなくても良いと思っているのだ。もちろんSEOを多少は意識して書くのもあるが、伝えたいことは自然とそのようなタイトルになるし、内容がないものは内容がないタイトルになるのが自然だ。スキルもないのに内容のあるかのように価値のあるタイトルにしても仕方がないという点と、内容があればそういうタイトルに自然となるということだ。ユーザーを

考えて記事を作成することは確かに素晴らしいことだが、自然とユーザーが求めるものになるブログがあってもいいはず。つまり、自分の成長(スキル)とともに良いブログと呼ばれるものになっても良いし、そうじゃなくても全然かまわないと思うのだ。綺麗事をいえば、ただ1人に共感されたり暇つぶしに見てもらえれば、それで良いんじゃないかと。お金目的でやるなら自分の商品を売るためにSEOを意識して多くのユーザーに見られるように工夫して書くのが効率が良いだろう。だが、それすらもSEOを無視して書きたいことを書くことで無作為の商品もできたりするのではないだろうか?という超長期的なプランでやっても良いのではないかと考えている。

お金を優先するのではなく、見られることを優先するのでもなく、自分の経験や考えていることを情報で出していくことで結果として何かが得られることもあるのではないか?ということだ。なので、得られなくても良いし得られても良い、そんな緩いブログがあってもいいと思う。

なんくるないさという考え方

なんくるないさとは、なにもしないで何とかなるさという意味ではない。やることをやっていれば、自然と良い結果が出るという言葉だ。単なる楽観的な言葉ではなく、やれるだけの努力をした上で自然に任せようということだ。人事を尽くして天命を待つと似ている言葉だと言えるが、このような考え方は自然で良いのではないかと個人的に思っている。

例えば、SEOを中心で考えていけば自分が発信したい重要だと思っている考えていることでも書かない選択をするかもしれない。そうなれば、何のために書いているのか?ということになる。もちろん、多くのユーザーの検索傾向からその需要を記事にするということから、ユーザーファーストの考え方もある。だが、他人を優先するあまり自分を見失うこともあるはずだと経験から思うのだ。

自分ファーストでやることは、自由に表現できる点でメリットである。分かる人が分かれば良いし、分からない人に分からせるための苦労も少ない。そもそも、興味がない人に見てもらうのは、どんなにユーザー数が増えようが逆に不利益だと思うのだ。自然と興味がある人が見てもらえるのが理想。この考え方は賛否両論あると思うし、誰にもすすめるつもりはない。